記憶の忘却
過去は必要ない 嫌だ…ッ
記憶は邪魔なだけだ
もう忘れたくないんだッ!!
×××
これは突然起こった物語。
物語はそこに住む魔術師のライブと迷い込んだ人間のユズしか知らないことだ。
今となってはもう誰として知る者はいないだろう。
×××
ある日、いつものように暇潰しに来ていたユズにライブは告げた。
「お前は何も見ていないし、何も知らない」
『記憶を消す』魔術をかけた右手をユズにかざし、続けた。
「ここには何も無かった」
術の発動と同時にライブの右手首を拒むようにユズは掴んだ。
「…はっ……はぁっ………」
しかしそれも無駄な抵抗、記憶の消去が始まっているユズは呼吸を乱す。
そんな姿をライブは掴まれた腕を振り払わず光の無い眼で見降ろす。
「な……に…」
今にも消えそうな声を絞り出し、息を整えるとユズはライブを睨んだ。
「……やってんだ馬鹿野郎!!!!」
出る限りの声を出し怒鳴った。
表情を変えないライブを見たユズの怒りは静まる気配を見せない。
光の無い目を真っ直ぐ見つめ、言う。
「なん…だよ……その、目ッ…」
額に汗を浮かべ、苦しそうな表情を浮かべ息をさらに乱す。
「死ん、だ…魚……だって、そんな目しない…ッ」
「……お前にはわかるまい」
ユズの発言にライブは感情の無い声を出し、自分に言い聞かせるように言う。
「…いや、わからなくてよい……俺の問題だからな」
しかし、その言葉はユズの怒りに油を注いだ。
掴んでいた手に力が籠められる。
「アンタだけ…?……じゃぁ、今…何してんだよ」
術に抗っている為か、怒りに身を任せているせいか、呼吸は荒くなる。
「あたしにっ…はあ…こんな思い……させて、ただじゃ…すまされ…はぁ……ないぞ…」
恨みと憎しみの籠った言葉をなんとか吐くユズにライブは目を閉じる。
「忘れろ…ここも、俺のことも……」
そして、ユズの怒りも恨みも憎しみも感情もすべて踏みにじるように告げる。
「……そんなくだらぬ気持ちも」
それを聞いたユズは掴む手を震わせる。
「邪魔になったら忘れれば良いってか…?」
何を思っているのか、強がっているような口調で続ける。
「…呆れた……アンタ今まで…そんな気で、あたしとしゃべってたんだ」
その言葉にライブは何かが弾け飛んだように声を荒げる。
「じゃあッどうしたらいいんだ!?」
「俺はっ……今まで、どうしたら良かったんだ…?」
声にはどこか涙が混じっていた。
ユズは強く掴んでいた手を離し、呆れた表情を浮かべる。
「…なんだ……あたしより長く生きてるのに、そんなことも分からないの」
「何年生きようと……分からぬことは多い」
本当にライブは分からなかったのか、今となっては本人に知るすべは無い。
「分かったとしても良いことはない…」
ライブは左手をユズの額へと当てる。
術は最初のよりずっと強力なものだった。
「だから…消して忘れる」
瞬間、ユズの額から光の泡が天に昇り消えていき、頭を掻き乱される感覚にユズの体は恐怖に蝕まる。
その左手の術は『忘れる』ではなく完全なる『消去』、リセットだ。
「っい、やだッ…嫌だッ!離せ!!!」
ユズの頭の中には『過去に忘れてしまった人』の映像が流れる。
しかし、その映像もノイズが支配し消してゆく。
「それ、忘れるの…だけはッ、絶対……どうしても嫌だッ!!」
「…恐れるでない……すぐ楽になる」
怯えるユズにライブはゆっくりとした口調で声をかけ
「すぐ…何も感じなくなる」
残酷に告げる。
次の瞬間、一気に術に支配されたのかユズの体から力が抜けていく。
「ッ……うっ……」
ユズの瞳からは涙が溢れ出し、それでも抵抗する。
「嫌……いやだ……」
記憶が失われる瞬間、わずかに残った映像と共に『あの』声が聞こえた。
『 』
「……っ」
その聞こえてきた言葉にまた涙を流し、ユズの意識は闇に沈んだ。
支えられなくなり倒れかけたユズの体をライブは抱き寄せる。
「……何も知らずに幸せになれ、ユズ」
眠ったように意識を無くしたユズの顔には涙の跡が残った。
×××
ライブはユズの家へと向かった。
記憶の無いままあの場所にいられると困るからだ。
ベッドにユズを寝かせると、ライブは自分の帽子をユズに被せた。
(もう迷うなよ小娘……普通に生きよ)
そう心の中でユズに告げると、ライブはその場から消えた。
×××
ユズは意識の奥底で夢をみた。
意識が戻っても記憶に残らないようなところで。
『ユズ』
『僕はずっと忘れないから』
END